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花縄日記

花縄マスターによる日記(予定)

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ものずきや・・・芭蕉

ものずきや匂わぬ草にとまる蝶」…松尾芭蕉。
私は別に俳句を好きなわけでもないし、知っている訳でもない。が、
嵐山光三郎著「芭蕉紀行」を読んでいて、芭蕉が男好き!?…じゃ
ないかと書いている。
白げしにはねもぐ蝶のかたみかな」は杜国と云う弟子と別れる時
に送った句で、白芥子は杜国で、羽をもがれた蝶は芭蕉だと言って
いる。伊賀上野で生まれ育ったから間諜(スパイ)として旅をした
んじゃないか?…。とか色々言われている事はあっても、男色じゃ
ないか?…、なんて説があるとは知らなかったので、“へぇ~”っと
驚き共に、“さも有りなん”…なんって妙に納得をしてしまった。
何しろ「奥の細道」は曾良と一緒に旅をしているし、江戸へ出て来
て女(妾)と一時期同棲はしていたらしいが、養子(甥)にしていた
男とその女が駆け落ちしてしまって?…、気落ちして日本橋から深川
へ引っ越した、と迄言う説さえあるらしい…(田中善信著「芭蕉二つ
の顔)。30代(当時の芭蕉)の男が、自分と余り歳の違わぬ男を養子
にしている?…って言うのも変ですよね。いくつもの「紀行」文があ
るけれども、何ヶ月も男とばかり旅をしているのだ。伊賀上野から
江戸へ出て来て、日本橋の小田原町に住んでいた芭蕉はかなり成功
して裕福だったらしい、だのに、総てを捨てて草深い深川に移り住ん
だのは、妻妾の密通は死刑…と言う当時の掟があったから、だとも
推測している。

杜国と言う人は名古屋の人で、若くして芭蕉より早く死んだ。芭蕉
は約三ヶ月間ほど杜国と二人旅をしている。伊勢から明石…京都ま
での新婚旅行のような蜜月旅行である。杜国が死んだ後、夢に杜国
が出て来て泣いて目が覚めた、とある。「夜は床を同じぅ起臥、行脚
の労をともにたすけて、ある時はたはぶれ、ある時は悲しび、その
志我心裏
(こころざしわがこころうら)に染みて」…と「嵯峨日記」
に書いている。何ともはや明け透けに書いたものである。
ま~常識的には、戦国時代から江戸時代に掛けて、男同志がSEX
する事はそれ程異常な感覚ではなかった!?…、と言う説も有るか
ら、世間的には現代ほど異常な目でみられなかった?…のかも…。

最初に揚げた句は偶然にある本を読んでいて、気に成ったのでメモ
しておいた句なんだけど、よく読み返してみると…???…っと思
ってしまうような解釈だって成り立ちますよね。何所でどんな時に
吟じた句かその本には書いてなかったので、独善的に解釈するのは
間違っている事だけど
…。
こんな句もあるよ…「まつたけや しらぬ落ち葉が へばりつく
…これは故郷伊賀に帰った時、弟子が見たことのない男を連れて来
た…、何となく変ですよね。ホモ特有の嫌味に聞こえません?

一芸に秀でている人はゲイであるかないかに関係なく、世間は認め
る…。って言う姿勢は大切な事だし、道徳とか宗教観によって排斥
されたら文化は成り立たないですよね。女好きか男好きかは別にし
て、芸術家は究極的なナルシズムを抱えている人が多いし、それは
時に反社会的な行動や発言となって、物議をかもし出す事になる。

一芸に秀でている…って言う意味では、ゴルフのウッズ選手。相手が
女だから非難されても、どこかで容認?されている感じがするんです

よね。“SEX依存症”…だなんて言われて…。ホモが相手だったら…
な~ンて考えると、決して容認されたとは思えません。世間って怖い
ですよね、女とやっている分には許すけど、男同志だっら許さない、
って、…そう言う意味では…。
ホモから言わせれば、10人や20人相手を替えたからって“SEX
依存症“…だなんて誰も思いません
。何の取り得がなく(匂わぬ草
ても、我々ホモはガンガン遊びまくっています、幸せな世の中です。
(^人^)感謝♪




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